ハナコのしっぽ あとがき 「殺処分」
現在、日本では年間約40万頭の犬猫が殺処分されています。
内訳は、犬約16万頭、猫約24万頭。
一日に換算してみると、約1000頭の犬猫が高濃度の二酸化炭素の処分室で窒息死、焼却されていると言う毎日です。
猫の場合のほとんどが、生後間もない子猫で、飼い主が避妊・去勢を行わなかった結果、増え過ぎて飼えなくなったケースです。
逆に高齢のため、人間でいうところの認知症になってしまった老猫、老犬を飼い主が世話をしきれなくなった理由で殺処分されることもあるといいます。
"何とか他に言い方もないものか"と思うこの《殺処分》は、環境省の管轄で政令として定められたものです。
殺処分の「第1 一般原則」
管理者及び殺処分実施者は、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重することを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努めるとともに……云々。
<生命の尊厳性><苦痛を与えない方法>…どこか空々しく、虚しく目に移るのは私だけでしょうか。
そもそもわれわれ人間は、牛を食らい、豚を食らい、鶏を食らい、ありとあらゆる命をいただき、こうして生きています。
では、それらの動物と犬猫、どう違うのかと言われれば…われわれ民族の歴史の中における<家畜>か<ペット>かということでしょう。
わが国は現在、<子供の数>を<ペットの数>が大きく上回るという空前のペット大国となりました。
ペットの命の在り方をもっともっと議論し、考えなければならないところへすでに来てているはずです。
犬猫の保育園、美容師、病院、レストラン、カフェ、高級ホテル、旅館、マッサージ、針……等々。
ペット産業がまたたく間に発展・定着する一方、増え続けるペットの末路が今までと同じく《殺処分》で、もう良いわけがありません。
ドイツでは、
捨てられた犬や猫は絶対に殺しません。
信じられないことですが、<処分場>が1つもないのです。
その代わりにあるのが<動物の家>という、いわゆるシェルターでその数、国内に500以上というのですから驚くよりほかありません。
そこには、犬猫に限らず馬、ウサギ、鳥など数多くの動物が保護されます。しかも、保護され暮らしている動物たちに滞在期限がないというのですから、今だに《殺処分》に頼るわが国の状況は、一体何なのでしょうか。
まず、
ドイツがどのようなシステムで<動物の家>を機能させているかを知るべきだと思います。
ドイツには700以上の動物愛護団体があり、500以上の<動物の家> が、民間の寄付とボランティアのもとに存在しています。
当然、民間の力だけでは<動物の生命の尊厳性>を守ることは難しく、<犬の法律>を定めるなどして、国を上げて取り組んでいるのです。
ここでこの<犬の法律>の一つ一つを取り上げることは控えますが、実に細やかなものです。
やはり、両国の人間とペットの歴史の違いを感じずには居れません。
ドイツでは、すでに139年も前から200もの動物愛護団体があり活動していたというのですから。わが国では、チョンマゲを切って「文明開化の音がする」といっていた頃です。
その文明開化から、大きな戦争も経験したのちの日本は、あらゆる面で急成長を遂げました。奇跡的な素晴らしい国の繁栄です。
しかし、現在のわが国は、明らかに過渡期の混乱を迎えています。
とは言えそれは悲観ばかりすることでもなさそうです。
人間も国も、身の丈いっぱいいっぱいまで成長したあとは熟成、老いて行くものです。
司馬遼太郎さんが生前残された「美しく老いる」という言葉を、先日、久しぶりに新聞のコラムで目にしましたが、正しく今の日本がそうなのでしょう。
ひたすら成長することだけに傾けて来た国のエネルギーを、<頑張らなくする>のではなく、<熟成させ、美しく老いる>ことに使うべきです。そのアタマの切り替えこそが今、早急に必要なのではないでしょうか。
《ハナコのしっぽ》を通してここに書いた《殺処分》の問題も、美しく老いていくために私たちが考えなければならないことの一つであることは間違いありません。
精神(こころの置きどころ)次第で、日本はまだまだ豊かな美しい国になれるはずです。
今までは処分していた命に「?」を感じて欲しいと、切に願ってやみません。
いつでも里親 http://www.satoya-boshu.net/
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