【隨筆:到訪客家村,想想關於香港裏流緊嘅Energy】
近排我去參觀擁有超過300年歷史嘅荔枝窩客家圍村(日本語うしろ)
個村靠山臨海,遠睇好似綠洲咁靚到令我嘆息♪
不過此刻當我想像…300年前,從大陸南下來嘅客家人決定落根此地嘅心態時,我嘅表情就開始嚴肅起來,我就覺得他們嘅心情絕對唔係好似我而家觀光客咁嘅欣賞靚景嘅悠閑心態。
呢個地方非常非常偏僻,咁點解當時他們客家人偏偏揀咗呢個地方來移居生活??
背後個原因我就估到估唔到,但其背後一定會隱藏住同他們一族嘅存亡或者生命好有關嘅重大事件。
個村背後靠山善於防禦又摘到山珍,面臨海邊可以捕魚,挨家挨戶方便互通聯絡,扶助。
將原本乜都無嘅偏僻荒地開墾成村,便維持到至今大約400年歷史嘅生活,當時嘅人嘅果份開拓精神,對於生命,未來,存續家族,忍耐艱苦嘅意志力,可能我現代人就想像都想像唔到… 超堅强。
初期香港,除了少數嘅原住民之外,仲有好多出邊過來嘅例如客家人,潮州人,福建人,上海人,仲有其他地區來嘅人落來生跟,爲的是生存,尋覓更好嘅機會同生路。
你地嘅爸爸媽媽,爺爺奶奶,或者再前一代嘅前輩們,好多人隻身來到香港 (有人就游水來←我當初以爲只係比喻,但真係知道有好多人游水來到香港時,我就好驚訝又佩服),佢地靠住堅毅嘅意志力同生命力,遇到困難都唔當困難嘅精神,從零開始創造出屬於自己嘅一片天地,創造香港,創造未來。
我覺得呢樣好堅毅嘅前輩們嘅精神同血汗,仲喺而家嘅香港社會,同埋香港人身上確確實實咁生存緊流緊落去。
比如我日本朋友來到香港時,好多人都會話香港呢個地方,同埋香港人好Energetic!! 好元氣!講野都大聲d(笑),咁點解咁有Energy呢?係唔係因爲風水嘅關係,定係亞熱帶嘅氣候嘅原因??
我覺得呢個或者同香港城市充滿的,飄緊的,或者香港人本身裏面擁有嘅「氣」有關係,咁呢種「氣」來自邊度呢?我覺得呢種「氣」有可能係源自於前輩們直到而家接棒過來嘅堅毅精神同夢想,令到我地日本人會覺香港,香港人係好Energetic的主要原因之一。
我有時會諗,究竟咩嘢叫做「香港精神」?? 我覺得他們前一輩們嘅呢樣堅毅精神,就係香港精神嘅好重要嘅元素之一。我相信他們嘅精神,血汗,脈脈相傳到而家香港人嘅基因裏面,流緊而家香港嘅社會裏面,甚至喺海外,遍地開花。不斷影響緊現代嘅人嘅精神,包括外囯籍嘅我,有時我會諗,我都曾經遇到過一些困難,心酸嘅經驗,不過如果同當時前輩們經歷過嘅艱苦程度比起來嘅話,我經歷過嘅更本唔係困難一回事,可能算係甜品來嘅。
Written By SOKO 和泉素行
香港に来る日本人の友達が口をそろえてよく言う、香港はすごくエネルギッシュな場所、香港人はすごく元気、声も大きい!(笑)
これは僕が初めて香港に来た時も感じたこと。
香港は龍の通り道ともいわれ風水的にもパワーが集まる場所なのかもしれない、亜熱帯気候特有の陽気も関係しているのかもしれないが、確かに香港には何か底知れぬモアモアと湧き立つようなパワーのようなものを感じる。
それは何でだろうと自分なりに考えてみた。19世紀初頭、イギリスがやってくる前の香港は人口一万人にも満たない辺鄙な漁村であった。その当時、今のようなエネルギッシュさとパワーが香港にあったとは到底思えない、やはり、今感じるそのパワーというのはここに住む人々が増えるにつれ、創り出され、増幅し続けてきたところによる部分が大きいのではないか、という気がしている。
最近、香港にある300年以上の歴史を持つ荔枝窩(ライチウォ)の客家の村を訪れた。客家民族はもともと北方民族であるが戦乱から逃れ南下し、香港や台湾にも多く移住している民族だ。
村を最初見た時、その自然環境との美しい融合に息を飲んだ。
しかし、ふと、300年前の情景を想像してみた、何もないこんな辺鄙な所を開墾し住もうと決意した覚悟、そしてそうせざるを得なかった、その背後にある理由は、おそらく己の命と家族、一族の存続をかけた、壮絶なものであったに違いない。
村の後ろは山、防御に優れ、山の幸も採取できる、波の穏やかな海岸に面し漁もしやすい、家はぴったりとくっつくように建てられ、情報伝達や扶助団結に適している。当時の外敵は大木を使って門を破壊し侵入してくることが多かったという、道を細くしているのはそういった外敵の侵入の防御策の一つでもあるという。
19世紀の香港には植民地政策を進めようとするイギリス人の他、そういった客家の人々や、潮州人、福建人、上海人、他大陸からのいろんな地域からの人々が移り住んできた。戦乱、革命、政治情勢、ビジネス、背景にはいろんな理由があったかと思うが、香港はここに来れば新たなチャンスがある、もう一度やり直せる、そんな希望や夢を抱いた人々が集まる場所であったのである。
僕が以前務めていたTV会社の会長は大陸から泳いで香港にやってきたというが、最初僕は例えか冗談かと思っていたが、本当に泳いでやってきたのである。そんな人々が沢山いて、今の財界やメディアの大御所となっている人々も少なくない。
体一つで香港にやってきて、親戚や身寄りも少ない、もしくはまったくない、ゼロからはじめるわけである。そんな状況下にあっては、己の意志の力と精神力が相当強くなければ生き抜いていくことはできないと思う。相当なガッツである。前務めていた会社の会長は声が大きく、いつもパワーにみなぎっていたし、夢をかたっていた。余談だけど、僕の名前を8年間和田と呼び間違えていた(笑)和泉です。
今も香港に漂う、香港と香港人が醸し出すそのエネルギッシュさやパワーの源流はそんな先代の人々の意志の力や精神力にあるのではないかと思っている。その精神とパワーは今の世代にも受け継がれ、香港の街や、空気、社会のあらゆるシーン(海外もふくめて)に今も力強く脈々と流れているような気がする。
そんな人々が味わってきた苦労を想像すると、己の苦労など苦労レベルではなくむしろデザート程度ではないかと、思ったりするのである。
同時也有3部Youtube影片,追蹤數超過8,800的網紅隨我行FolloMe,也在其Youtube影片中提到,荔枝窩是位於新界東北部的一個擁有數百年歷史的客家圍村,隣近印洲塘海岸公園,並設有香港國家地質公園的「荔枝窩自然步道」,吸引不少遊客前來到訪。 Lai Chi Wo is a Hakka village near Sha Tau Kok, in the northeastern New Territo...
客家圍村 在 CCTV 中文 Facebook 八卦
#記住鄉愁 屏山村——業精於勤
做事勤勉的一代代香港人,在時光的打磨中,把這個數百年前的小漁村發展成亞太地區最重要的金融、航運中心,這座被稱為“東方之珠”的繁華都市,是如今全球最富裕繁榮的地區之一。位於元朗的屏山村是香港最古老的客家村落之一,北宋末年,屏山先祖鄧漢拔帶領家人自江西南遷至此,至今能保留著完整的客家圍村風貌。香港鄧氏先祖勸誡子孫後代只有自強不息、勤勵做事,才能讓家族長久繁盛。 #中國文化
觀看完整視頻請點擊:
https://www.youtube.com/watch?v=Z4o5wrwq27U
客家圍村 在 拖手仔 去街Guide Facebook 八卦
#約你去荔枝窩
#親子直鬆遊
呢度嘅自然景觀其實和萬宜水庫東壩同等Level,皆被合國教科文組織列入世界地質公園名單,早就設有荔枝窩地質教育中心。
更有超過300年歷史的客家圍村,荒廢的小屋依山而建,一層又一層,拍起照來,景色別緻。
#亞洲十大最佳旅遊地點之一
https://www.guideguide.hk/?p=643
#荔枝窩 #親子行山 #親子好去處 #拍拖活動 #親子200遊
客家圍村 在 隨我行FolloMe Youtube 的評價
荔枝窩是位於新界東北部的一個擁有數百年歷史的客家圍村,隣近印洲塘海岸公園,並設有香港國家地質公園的「荔枝窩自然步道」,吸引不少遊客前來到訪。
Lai Chi Wo is a Hakka village near Sha Tau Kok, in the northeastern New Territories of Hong Kong. It is described as a "walled village" by some sources. Lai Chi Wo is located within the Plover Cove Country Park and near Yan Chau Tong Marine Park.
【荔枝窩 Lai Chi Wo】詳細介紹: http://wp.me/P6CvAS-3zA
遊記·【馬料水新航線 向荔枝窩進發 (水路篇)】: http://wp.me/p6CvAS-1SJ
拍攝器材 Shooting Equipment: DJI Phantom 2 + Hero4 Silver
音樂 Music: 今宵夢の終わりにて by 古根川広明 (from DOVA-SYNDROME: http://dova-s.jp/)
#荔枝窩 #新界東北 #客家圍村 #遠足 #航拍 #Phantom2 #GoPro
客家圍村 在 Dd tai Youtube 的評價
三棟屋村是香港新界一個重置舊客家圍村,本來位於荃灣近現時荃灣站一帶(土名牛牯墩),後來因地鐵工程遷至象山邨以北,大帽山南面山腰近和宜合交匯處一帶。舊有村落因保存良好,被政府闢作三棟屋博物館,更成為香港法定古蹟。三棟屋村由陳氏人士所建,原本居住於福建省汀州府寧化縣,後來有一支搬到去廣東省廣州府新安縣羅芳。到了第十三代,當中的村民陳任盛搬到荃灣鹹田附近居住,曾於大窩口填海開地種田,並興建一座草屋。其長子陳健常其後看中牛牯墩西部一地,發現風水極佳,便在該處立村,稱為三棟屋村。三棟屋村於1786年建立,本來只有一座三進口的房舍,棟是主樑的意思,三棟屋因此而得名,可解作「三條棟樑的房子」。陳氏後人先後在三棟屋村的兩旁及後面加建房子,遂漸成為今貌,佈局左右對稱如棋盤,中軸線上分別建有前廳、中廳及祠堂,在正門石楣上刻有「陳氏家祠」四字,而兩旁分別築有四間居室,左右及後排的橫屋將整個三棟屋圍攏成圍村。1979年首季,由於香港地鐵荃灣綫的工程,三棟屋村村民放棄原址他遷。1987年,三棟屋村遺址經當時的區域市政局修葺後,改為三棟屋博物館開放讓公眾人士參觀,現由康樂及文化事務署管理。展覽:展示三棟屋村的建築及居室特色,陳列各種農具、家具及客家日用品;並設有「話當年」展覽,讓參觀者觸摸展品,感受農村生活。此外,館內展覽廳亦展出名為「口傳心授:香港非物質文化遺產」的專題展覽,介紹本地十個國家級非物質文化遺產項目,涵蓋表演藝術、宗教儀式、節慶活動、傳統手工藝等各個領域,各自代表了不同社群對傳統文化的傳承所作的貢獻。
客家圍村 在 Smart Travel Youtube 的評價
三棟屋是典型的客家圍村,一九八七年修繕後,成為康樂及文化事務署的博物館,供公眾人士參觀。三棟屋於一七八六年由陳姓客家人建立,陳氏家族於十八世紀中期從廣東移居本港,擇居荃灣,並且填平沿海的土地作耕種之用。三棟屋原先只有三列房舍,由族長陳任盛所建,他的後人先後在村的兩旁及後面加建房子。位於中軸線上的正廳,擺放了陳氏先祖的神位,面向正門,正門石楣上刻有「陳氏家祠」四字。
Sam Tung Uk Village is a Hakka walled village restored in 1987 and opened to the public as a museum of the Leisure and Cultural Services Department. It was built by the Chan clan in 1786. The Chan clan moved from Guangdong in the 1750s, and settled in Tsuen Wan, where they reclaimed land along the seashore for cultivation. Chan Yam-shing, a clan leader, first constructed three rows of village houses on the site. His descendants later built annex houses to the sides and at the back of the village house. The family ancestral altar was placed in the main hall lying on the central axis facing the entrance. The four Chinese characters signifying 'Chan' Family Ancestral Hall', were engraved on the granite lintel above the door frame.
客家圍村 在 客家圍村英文 - 加油地圖 的八卦
加油地圖,圍村人英文,為什麼圍村的四周建有高牆,圍村文化英文,香港客家村,圍村結構,圍村習俗,圍村建築特色,圍村平面圖. ... <看更多>
客家圍村 在 曾大屋(一百五十多年歷史客家圍村) - YouTube 的八卦
在2022年3月15日,我進行了一個沙田遠足行程。路線是從沙田新城市廣場出發, 穿過沙田公園到曾大屋遊覽; 接著沿曾大屋後面的天梯石級到達貓仔山西北面 ... ... <看更多>